空を見上げて思うこと



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新たな展望は何も無いけれど……。

5年11ヶ月ぶりの更新。長いブランクだったけど、不定期に再開します。毎日いろいろな事があるけれど、そういう物に影響を受けながら日々は過ぎていくのですね。帰らざる日々と来るべき日々の壮絶なバトル、ついに復活です。


2011年8月22日(月)
約5年11ヶ月ぶりにHPに書きます。HPもほとんど更新してないから誰も見てないだろうなー。しかし、どっこい生きている(笑)。その間、やはりいろいろなことがありました。18年間の店と寝床の往復から解き放たれた時間の流れ、様々な人との出会い、そして社会の変化。果たしてそれに上手く対応できていたのかどうかは解りません。当たり前だけど、良い事も悪い事もたくさんあったこの5年11ヶ月、密度は違うけれど、それなりにバタバタの連続でした。

しかし、何とかやってこられたのは、当時のお客さん、友人、知人の皆さんのお陰だったのかも知れません。大体18年間も同じ事をやってきたら、そのスキルは当然活かすべきですが、それは小出しというかほとんど出さずに、よくやってこれたよね。そして今、何故か原点に戻ったような感じがします。うん、多分、お楽しみはこれからかも知れない?。

思えばあの時期は、ビデオからDVDへの移行の時期。それがスムーズにいくかどうかで先行きが見えるのだけど、実際は当時の社会状況等の影響も色濃く受けています。収束のメドが立たないくらいのバブル不況。当時は手を変え品を変え乗り切ってきたけれども、さすがに打つ手が無くなった。それに店舗更新の時期が重なったり、タイミングもメチャクチャ悪かったなー。しかし、一番の問題は、見せるに足るソフトが無くなった事かも知れません。

確かに、次から次へと話題作や名作は出てくるけれど、それが果たして本当に見応えある作品なのかどうか?。CGの発達や技術の向上は見受けられるけど、いつの間にか映画会社は作品を作らなくなり、スクリーンは増えたものの、まるでコンビニのようなシネコンだらけになってしまった現状。確かにそれも生き残りを賭けての攻防戦なのかもしれませんが、すでに映画産業も、あの頃から効率化の波に押し流されてしまった感があります。内容はどうあれ、儲かる作品至上主義は今も続いていますよね。

大体、映画は娯楽です。ある意味、暇つぶしと言ってもよいでしょう。だからこそ有意義に過ごしたい、余韻を楽しみたい。出来れば明日への活力になれば、なお良い。それは贅沢なことなのでしょうか?。そこには映画作家身を切るような努力とスクリーンを擬視し続ける観客の壮絶なバトルがあったはずです。いや、今もそれは確かにあると思うけれど、対決の相手が変わってしまったのかも知れません。いまや、映画企画者が算盤片手にGOサインを出しているとしか思えない作品ばかり。そういう作品がまるでコンビニ商品のようにシネコンで垂れ流されています。もちろん、昔の独立プロのような作品は現在も沢山作られています。しかし、それはシネコンのスクリーンに掛かる事は稀。掛かったとしても客を選ぶ映画です。

そして自主映画・インディーズ。ボクはここに希望を見出しています。最近の機材はフィルムの時代に比べ、安価で簡単に操作ができるようになっているので、ちょっと頑張れば誰でも映像を作ることが出来ます。もちろん技術的な差はまだまだありますが、それなりに面白い作品も沢山あります。それは正に作家の映画なのかもしれません。その面では新しい才能に出会える映像表現の底辺は、昔と比べ物にならないくらい充実していると思います。それは音楽やネットの世界でも同様です。今や数多くの映像や音楽が世界に向けて撒き散らされています。その中で何をチョイスするかは逆に至難。多分それは、自分の目で一つ一つ確かめていくしかないのでしょう。勿論その中で、シネコン映画をチョイスするのも各自の自由です。

取り急ぎ、この5年11ヶ月を振り返ってみましたが、それを踏まえて今思うのは、80年代中盤から2000年に至る、いわゆるビデオレンタル時代に製作された作品の復活です。確かに人気のある作品は大部分すでにDVD化されています。しかし、ビデオからDVD、そしてブルーレイへ。その間に復刻されなかった作品の数々。それは、商業的に難しかったり、当時と評価が変わってしまったり、著作権許諾の問題があったり、それと何よりもバブル期より続く長期の深刻な不況の影響もあります。あの時代、けして素晴らしい時代ではなかったけれど、それなりに血と汗と涙を流せた時代。今は、そんな物も流せなくなってしまったけれど、もう一度、その時代の作品を見てみたいと思う今日この頃なのです。



新たな展望は何も無いけれど……。
零細独立レンタルビデオ店「13号倉庫」(2004年10月31日 営業終了)の元店長、ヨブが日々の様子、暇に任せて考えた事、読んだ本、聞いたCDの感想(保管箱ゴミ箱を設置)等、ケセラセラセラ、エトセトラ。思いつくまま気の向くまま、出来るだけクリアに書き続けてゆく予定です。


2005年9月24日(土)
 地元のビデオショップで最後まで残っていた個人店「サンデー」が今月末で閉店になります。これでときわ台は、一足早く、2大政党制ならぬ2大ビデオショップ制で更なるせめぎ合いが繰り広げられる様相を呈してきました。この2大店舗、細かく見ると、それなりに違いはありますが、全体的に見ると、案外、違いは店名だけだったりします。オーソドックスな意味では、この地区ではこれで充分。ディープな作品を要求しなければ、何ら問題は無いでしょう。
 業界的には、DVDレンタルもそろそろ安定期に入り、右肩上がりの成長は期待できなくなりました。これからは、毎月毎月の充実度が大切になってくるのですが、今年は、劇場の話題作が思ったほど稼動してないようなので、はたしてどうなることやら。ビデオレンタルはプロ野球中継ほどの落ち込みは無い物の、どうも緩やかな縮小傾向にあるようです。そのような中で、ショップ現場の奮闘は、実に涙ぐましいものですが、大手ショップ中心とはいえ、この所かなり疲弊してきたように思います。そういうわけで、ビデオショップに入るのがチョットつらくなっている今日、この頃です。
 アメリカでは、ビデオチェーンの王手、ブロックバスターが青息吐息の状況のようです。アメリカでの様子は数年を経て、この国にも派生するので、ビデオレンタルの状況は、暗たんたる物としか言いようがありません。そんな状況の中でも、ノー天気なコンサルタントが相変わらずノー天気に差別化を主張しています。その店に付帯価値があれば「1本1000円で貸す店が有っても良い」、じゃあ聞くが、1000円で借りてくれる人が何人いる?。1本2〜300円の価値の物に7〜800円の付帯価値。それは、逆だろう。2〜300円のビデオこそが付帯価値じゃないのか?。ビデオ業界は、昔からそうでしたが、所詮この辺のレベルなのです。だから現在の大手が君臨していられるのです。
 大手、中小に限らず、現存のビデオショップには、頑張って欲しいと思います。現状では、王手が残る可能性は益々少なくなってきましたが、中小が残る手だては、まだまだ有りそうです。それよりも、心配なのは、製作、メーカー側です。こんな作品ばかりリリースしていたら、本当、先が無いですよ。
2005年4月24日(日)
 2週間ほど、池袋方面に足を向けなかったのですが、その間に大山のレンタルショップ、リバティが閉店しました。この所、ビデオショップの様子としては多少安定傾向のように見えていたので、ちょっと驚きです。リバティは普通の中型店で、1階がCDと一般作、2階がアダルトで、そこそこ客も入っていたのですが、ひょっとすると、1週間に数日あったサービスデーが祟ったのかもしれません。割引で客を呼ぶのは当然の手法なのですが、単価が半分になって、来客数を倍以上獲得するのは、それは至難の技です。近隣の競合店との兼ね合いという事ではそれなりの意味があるのですが、やはり、厳しかったのでしょう。
 最近、知り合いの店にお邪魔してお話を伺ったのですが、今はDVDの経費がバカにならないという事でした。相変わらず、メーカーは強気なようで、レンタル用と称して店にはかなり高値で卸しているようです(大型店は別)。その割に販売用は思ったほど売れていないようで、相変わらず、キャンペーン価格で店頭に並んでいます。販売、レンタルのどちらにしても、今の状態はあまり良い状態とは言えないと思うのですが、如何なものでしょう。この状態では表面的には静かなものの、大手と言えどもレンタルのみではかなり厳しい状態なのではないでしょうか?。超A級作品だけではショップはやっていけません。旧作を始め、裾野の作品の力が重要なのですが、ビデオ業界、映画業界を挙げてその辺をおろそかにしてきたツケが、今、ローブロウのように出てきているように思います。映画観客、来店者のレベル低下を含めて、今のままではこの先も普通のビデオショップは、暗たんたる状態が続くような予感がしています。
2005年3月31日(木)
 
やっと春らしくなってきました。多分、桜もこの数日で開花するのかもしれません。この2ヶ月ばかり、何となくバタバタしていましたが、やっと通常ののんびりした生活に戻りつつあります。とはいっても、そろそろ少しばかり動かないとチョットやばいかもしれません。まぁ、当人は至ってノンビリしていますが……。
 ここの更新は久しぶりなのですが、さて、何を書きましょうか?。まぁ、とりあえずはご要望の多いビデオショップの話し等を少しずつ書いていきましょう。とはいっても、もう現役を引退した身ですので、あまり深い所までは解りません。間違った事を書く場合もございますので、その時は、現役のショップの皆さん、ご教示の程、宜しくお願いします。
 2月の後半から、かなり忙しかったので、ビデオショップ巡りはお休みしていて、昨日、久しぶりに、何軒かのショップを見てまわりました。一応午後だったのですが、入った店は全て客がいなくて、とても静かでした。思わず、「大丈夫か!」と思ってしまったのですが、新作はそこそこ貸し出し中だったので、それなりの売上はあるのでしょう。展示の状況から見ても、主流は完全にDVDになったようですが、タイトル的には完全に新作中心で、どの店も似たりよったり。もう一つ面白さに欠けるというか、もう、ビデオレンタル自体はどこの店も同じような感じに思えます。ほとんどシネコンと同じですね。そういう面ではかなり安定しているのかもしれません。新作に関しても、小粒な作品が多くなったようで、どうも興味がわきませんでした。とりあえず、見たお店は閉店するような気配はなかったので、一安心なのですが、どの店でもVシネマ系はほとんど見かけませんでした。その分、メチャクチャ作品の幅が狭くなったような感じがするのですが、一体、今ビデオショップに通う客層はどうなっているのでしょうか?。昔にくらべて、AVも借りにくくなったような感じがしました。また、ほとんどの店がサービス・デーをもうけていて、その日はかなり安く借りられるようです。さて、この先、どうなる事やら。これから、不定期ですが、このページで、やじうまレポートしていくつもりですので、興味のある方はチェック宜しくです。




2005年2月5日(土)

 
2月に突入しました。早いもので丸3ヶ月のプー太郎生活です。それにしても、昔とはガラリと変わった生活姿勢。全くこれで、良いのだろうか?。多分、これでいいのだ=赤塚不二夫。と、まあ、そうは言ってもそれなりに、3ヶ月もこんな感じでやってたら、そろそろ先も見えて来つつあると言った所でしょうか?。さあ、そろそろ何かやろうかな?。まぁ、とりあえずはまだ寒いので、多分、何かやるにしても、春になってからかなぁ。それまでは、いろいろとネタをたくさん仕込んでおきましょう。
 一月下旬から、ブログ版「空を見上げて思うこと」も始まっています。まだ、ブログが良く解っていないので、とりあえず、見切り発車です。日々の出来事は、とりあえず、ブログ版で。コチラでは、多少ディープな感じで進めていきたいと思っています。さぁ、今月は何か良いことありますでしょうか?。

2005年1月23日(日)
 
ここ数日の寒さでは外出する気にもなれず、やたら睡魔が襲ってくるので毎日充分に爆睡しています。昨日も池袋まで映画を見にいったのですが、とにかく寒い事。早めに戻って、それでもって昼まで爆睡です。もともと冬眠体質ではあるのですが、時間が自由に使えるようになったらこれだもの。しかし、実際の所、暖かくなる頃までは、多分、こんな調子なのでしょう。
 まだ、ビデオショップ体質が抜けていない事もあるのでしょうが、先日も2件のショップに遊びに行ってきました。状況がますます悪くなっている中、頑張っているビデオ・ショップには、エールを送りたいと思います。それにしても、何か良い活性化の方法はないものだろうか?。横浜の映画館も閉館の方向にむかっているらしいし、意外とシネコンも数本のヒット作品を除いてもう一つの動員数らしく、時間帯にもよるのだろうけれど、板橋のワーナーマイカルはもう一つお客が集まっていない状況です。封切りでこれなのだから、ビデオ化されてもなぁ……。ひょっとするとここ数年で映画というもの自体が、無くなることはないのだろうけれど、ガラッと変わっていくような予感がしないでもない今日この頃です。商売がらみの文化、とりわけ文学、音楽、演劇、映画など、特に映画は遅れていると思うのだけれど、これからどう、変わっていくのか。その辺は、ちょっと見物かもしれません。多分、それは改革どころの事ではないような感じがしています。

2005年1月16日(日)
 
この週末は天気が悪く、動きようがないので外出はせず、ビデオとチラシ、雑誌等の整理をしています。ビデオはともかく、チラシや雑誌などは手に取ってしまうとついつい読んでしまうので、全然捗りません。今は無き銀座並木座のチラシなど、1枚1枚読んでいると、時間なんかすぐ経ってしまいます。これで、週刊誌などに手を付けたらそれはもう、地獄のようなものになってしまいます。なんとか、生活出来るスペースだけは確保したい所ですが、はたして何時の事になりますやら……。
 年末に開店したO型店の影響かどうかは解りませんが、ときわ台の老舗ビデオショップが閉店しました。実はこの店はときわ台で最初に開店したビデオショップで、13号が最後まで抜けなかったビデオショップでした。13号もここの会員だったのですが、当時、入会金3000円、1泊が1500円の時代だったと思います。今ではとても考えられないでしょうが、ダビング物で1泊1000円の時代、このショップではちゃんとしたテープを貸していたのです。ジャンボシアターなどが出てくる前の事で、思えば良い時代でした。この先、いつまでレンタルビデオが成立するのかどうかは解りませんが、また一つビデオショップらしいお店が無くなってしまいました。多分、このようにして時は流れて行くのかも知れませんが、一寸だけ感傷に浸ってしまった次第です。さぁーて、新しい週は、何か良いことあるかな?。

2005年1月13日(木)
 
今日は久々に長距離散歩。文京区から水道橋、お茶の水をブラついてきました。本当はそこまでやるつもりではなかったのですが、どうも歩いていると歯止めが掛かりません。特に、知らない道に出ると、急にファイトが沸いてきます。それにしてもこんなに町を真剣に見て歩いているのは、初めてのような感じがします。今回の文京区はあちらこちらに看板が出ていて、やれ、何々坂だの何々跡だの、やたら名所と言うか、それなりの歴史跡がひっそりとある所が面白さを助長させます。高々百数十年前の事なのですが、その場所でいろんな事があったとは、今の町並みの様子からは到底感じられないのですが、いろいろと空想しながらうろつくと結構面白いものです。意外とダメなのは、古い建物で、特に東大の赤門などはそこだけ何か異様な空間に感じられました。それにしても、約35年程前、東大解体を叫んでいた人たちは今、どうしているのでしょうか?。あの時、本当に解体していればどうなっていたのでしょうか?。ま、そんな事よりも、ひっそりと建っていた、「指圧の心、母心。押せば命の泉湧く」で一世を風靡した、浪越徳次郎氏の銅像の方が余程現在にマッチしていると思います。
 夜は、話題の倉本聰脚本「優しい時間」の1回目を見ました。いつもの倉本調と言ってしまえばそれまでなのですが、「北の国から」がこの先、ますますディープな問題に突入しようという所での製作中止というイメージがあるので、再び舞台が富良野というのはかなりの違和感がありました。富良野ってあんなにメルヘン調なのかなぁ。それにしても倉本聰作品には喫茶店がよく出てきますね。しかし、今やドトールコーヒーやマックの時代です。その辺の所も一寸……。基本的には「前略おふくろ様」+「ガラスの知恵の輪」+「北の国から」という所でしょうか。とりあえず、木曜10時は「優しい時間」です。

2005年1月12日(水)
 
この数日は、寒さがきびしく、空を見上げるでもなく、部屋の中でいろいろと整理をしています。とは言ってもかなりの数のビデオやチラシ類など、それはそれでなかなかケリがつきません。ビデオはともかく、チラシ類なんか、考えようによっては、単なるゴミなわけですが、そういうわけにもいかず、結構苦戦中です。それにしても寒い。寒い寒いと言っても寒いのは変わらず、この時期、仕方がないのだが、やはり寒い。とりあえず、寒い寒いで一日が過ぎて行くこの数日間でした。
2005年1月7日(金)

 あっという間にもう7日です。早いなぁ。正月はTV三昧の毎日でしたが、それでも元日はロング・ツアーで、駒込、根岸あたりまで足をのばしました。天気も良かったのですが、気分も最高。いつものようにアッチにふらふら、コッチにフラフラ。途中、偶然巣鴨近辺で大都映画撮影所跡を発見。今年は正月から、とても良い感じです。大都映画は戦前の映画会社。無声映画を製作していた会社です。阿部九州男や水島道太郎、ハヤブサヒデトが活躍していたという事ですが、作品は多分1本も見たことがないと思います。その跡地にいたら、車椅子のご老人が珍しそうにこっちを見ているので、話しかけるとニコニコしながら撮影所の解説をしてくれました。そのご老人、60年位此処に住んでいるそうですが、撮影所があったのはもう少し前との事。それでもサイレント映画の話とかで盛り上がってしまいました。早いのか、遅いのかわかりませんが、終戦からもう60年もたつのですね。この辺は滅多に行かないので、とても面白いコースでした。根岸神社も最高!。
 毎日、軽い散歩はしながらも、昼夜関係なく食べては眠り、眠っては食べの日々。生活のリズムを作らなくてはアカンとは思っていますが、なかなかそうも行かず、PCに向かっては、お正月TV三昧を書きつづけておりました。一応アップ完了です。宜しかったら、ご覧下さい。
 そんな中、5日は昔からの友人、T氏、N氏とファミレスで新年会?。久しぶりに約7時間、喋り倒しました。それにしても止めどなく出る話題は広範囲に渡り、決してWる事のない展開は心地良い充実ですが、さすがにチョット疲れました。
 そんなこんなのお正月。恒例のビデオ・ショップ初巡りも当然の事ながら行いましたが、今年は大手を除いてかなりキツイようです。利口なショップは元旦はお休みの所が多かったようですが、開店している中小店ではほとんど人が入っていませんでした。現役を引退したのにも関わらず、大丈夫なのかと、かなり心配です。また、大手が良いといっても、昔の様なパワーは感じられず、せいぜい現状維持+αといった所が精一杯のようです。みんなビデオ見なくなったんだねぇ。なにやっているんだろう?。
 後ビデオ関連では、ゴーストタウン常盤台に逆らうかのように登場したO型店。この所、会う人会う人に感想を聞かれるのですが、このお店に関してはまたの機会という事にしましょう。実に笑っちゃうお店なんですが、ま、ときわ台的とでも言えるかもしれません。
 そういう訳で、あっと言う間の7日間。何か、おいしい話し等ありましたら、是非とも13号倉庫へ。と言いつつ、今年も宜しくお願いします。


2004年12月31日(金)
 大晦日、午後から雪になりました。しかし、夜には上がったようです。2004年最後の日。今年もいろいろな出来事があって、それなりに大変だったような感じがしていますが、なんとかここまでたどり着きました。今日の大晦日は18年振りにのんびりと過ごしています。考えてみるとこれも凄い事かもしれません。もっともこの2ヶ月は、この「のんびり」するというのが一つのテーマだったような感じがしています。何を言っているのか!、と思われるかも知れませんが、この、「のんびりする」というのも真面目にやっていれば結構パワーがいるものです。昔、ジョージ秋山の「はぐれ雲」を読んだ時、この主人公は「大変だなぁ」と思ったことがありました。やはり何かやっていた方が絶対に良い。絶対にその方が楽です。
 今、紅白を見ながら、これを書いています。今年の紅白はオリンピックがあったので、それと比べればどうしても地味になってしまいます。しかし、それにしても、どうしたことでしょう。舞台も技術もそれなりに豪華なのですが、ほんの少しだけですが、隙間を感じます。去年まではこんな事はなかったのですが、全体的なレベルが落ちてきているのでしょうか?。一流の舞台を見てこそ、気持ちよく年が越せるというものなのに……。
 2005年もまた、いろいろな事があるのでしょう。その時に対応出来るだけのパワーは持っていたいと思う、今日の大晦日。来年はいい年にするぞ!。後50分あまりで来年です。サヨナラ2004年。アリガトウ2004年。
2004年12月19日(日)
 
今日は1日中自宅でのんびり。というよりも、昨日あちこち動き回ったので、今日はちょっと休息です。実は昨日は昼夜と自主映画の掛け持ちをするハズだったのですが、昼の予定をチョット変更して、映芸編集部に遊びにいって来ました。夜は予定通り池の上で上映会。下北沢といい、池の上といい、いくらテリトリーとはいえ道が入り組んでいて良く解らないです。途中、今話題のドン・キホテに入ったり、相変わらず、あっちフラフラ、こっちフラフラの道のり。それにしても、さすがに歳末なのか、街道は車の往来が激しくなってきたような感じがします。歩道も我がもの顔でブッとばす自転車暴走族が増えてきて、歩行者はとても危険です。人間が歩けなくなりつつある歩道って、一体何なんでしょうね。それでも、果敢に25000歩程の道のり。そんな訳で、結構疲れるのです。しかし、快食、快眠。これでもっと暖かければ、言うことないんですけどね。
2004年12月16日(木)
 
今日は、犬さんの原稿待ちで一日中自宅に引きこもっていました。天気も良く穏やかな一日なのに外に出ることが出来ないのは何となくつらいものがあります。別に外に出る用事もないのですが、窓を開けてため息一つ。TVを見ても面白くないので、あちこち整理して、ゴソゴソとラジオをセッティング。久しぶりにラジオを聞きました。やはりラジオもいいなぁ。考えてみれば、ビデオショップの営業が終了してから、もう1ヶ月半なのに部屋の中はほとんど片づいてはいないのです。せめてちゃんと眠れるスペースを確保しなければ、と深く反省。夕方やっと犬さんから原稿が入り、早速アップ完了です。よろしかったら、乱入ページ、見てください。
2004年12月15日(水)
 
今にも降り出しそうな雨。昨日の夜から友人T氏とぼんやりした1日を過ごしました。実は今日、入院中のN氏のお見舞いに行く予定でT氏はその前倒し来襲という事です。忙しい現代人にとっては誠に不摂生で、申し訳ないのではありますが、平日の深夜、ごろ寝状態でのぼんやりとしたとりとめの無い会話を楽しみました。まぁ、つまらない会話なのですが、例えば、最近、アチコチで見かけるフリーペーパーのグルメ割引券。1000円引なんてあるけど、大体3〜5000円位になっちゃうんですよね。当然の事ながら、950円位の物を頼んで無料というわけにはいきません。確かに割安感はあるのですが、良く考えてみると何か?、ですよね。自分としては牛丼店の50円割引券のほうがありがたいように思えます。それにしても、雑誌に載っている写真はどれも豪華で美味しそうです。年末に向かってこれからはそういうクーポンを有効に使いましょう。最近は、このフリーペーパー、グルメ通にとってはチョット要チェックのようですね。と、こんな会話を朝までなんとなくやってしまいました。そして目覚まし時計など関係なく、昼までごろ寝。午後は2駅ほど歩いてT氏のお見舞いに行って来ました。普通ですとフラフラ歩いて40分ほどの道程で一応普通のペースで歩こうという事だったのですが、何と息切れもなく30分程で到着。N氏は前回の時よりも顔色も良く、一安心。年内にもう1〜2回お見舞いに行くつもりです。帰り道はまた、違う道を通ってタイヤキをパクつきながら帰宅。1時間程ぼんやりした後、T氏は次の目的地へ。T氏もN氏も自分もほぼ同年代(13号が一番若い!)なのだけど、まぁ、こういう時期もあってもいいんですよね。多分。
 それにしても、街はジングルベル。雪もないのにホワイトクリスマス。鐘の音がまるで競輪の「ジャン」のようにせわしなく鳴り響き、ちょっとした飲み屋の割引チラシがJリーグの紙吹雪のように舞っています。さあ、今年も後、半月です。

2004年12月14日(火)

 
12月も中旬、残りも少なくなりました。街を歩けばどこからともなくクリスマス・ソングがこれでもか!、という感じで聞こえてきます(今年も13号は忌野清志郎&篠原涼子の「クリスマス・モーニング」をプッシュします。この曲シングルのB面という事もあってほとんど知られていませんが、なんとなくHでグッとくるスロー・バラードです)。特に今年はクリアに聞こえてくるのは、やはり街に人影が少ないからなのでしょうか?。なんか、一寸おかしな雰囲気です。それだけ商店街は厳しい歳末商戦という事なのでしょう。そしてまた一軒、ビデオショップが……。これは近くの街の話です。我が常盤台にはなんと某O型店が今週末にオープンとの事です。近隣の2店は大変だろうなぁ。まぁ、それはそれとして、今年は街のアチラコチラが電飾だらけです。それはそれなりに綺麗なのですが、なんか、電気のムダ使いという感じがしますね。13号はフリーターなので、家の電気なんかはこまめに消して節電していますが、そんなことにはお構いなしの電力使用量。また一つ発電所が必要になるかもね、電飾の為に。13号倉庫、空を見上げて、困ったものだ、と思う次第です。
2004年12月2日(木)
 もう12月に突入。しかし、今年は暖かい日が続いています。もっとも12月に入ってからは一寸だけ寒くなったような気がしますが……。早いものであれからもう1ヶ月が過ぎました。残務整理などはまだまだ片づいたという所まではいっていませんが、何となくフラフラと出歩いています(先日万歩計自己新記録達成!33491歩)。本当はその辺の所がもっと自然に出来るようになるといいのですが、まだまだ昔のようにはいきません。いろいろな意味でのアンテナの貼り直しが急務です。いまの所は本当に手探り状態です。とりあえずは時間の許す限り、あせらず、あわてず現場復帰(といってももう一度ビデオショップをやるという事ではないですよ。念のため)を目指したいと思っています。それにしても、状況は益々悪くなりそうです。特に、まともそうに見えるのがかなり危ない。ボケーっとTVなんか見ていると、評論家や大学教授の言っている事なんかサッパリ解りません。一体何を言いたいのか?。うーん、今日も空は気持良く青いのにねぇ。
2004年11月22日(月)〜24日(水)
 
表面的にはやっと落ち着きを取り戻したかのようなここ数日の流れです。昨日は鶴岡(プリンス)監督の「第4回えーぞーふぁんたじあ」に参戦。丸1日映画三昧でした。映画終映後、久々の池袋の夜。深夜近くに繁華街を彷徨するなんて、ホント、久しぶりです。もう、それだけで、ワクワク、ドキドキです。これからは、そんな事も多くなりそうです。
 さて、13号倉庫、営業終了後の3週間ばかり、果たして、13号は何をしていたのか?。今日は、その辺の事を報告方々少し書いていきたいと思います。
 10月末に営業は終了したものの、約3000本のビデオの自宅への搬入、棚の解体作業等、その後の撤収作業がまだ残っているので、何となく気が晴れない日々がもう少し続きます。1回約30本のビデオをコンビニの袋に詰めて運ぶ訳ですが、これがなかなか計算通りにはいかないもので、5日ほどかかりました。当然、車などで一気に運ぶ手段もあったのですが、自宅のスペースを考えるとそうも行かず、1日約20往復。大変ですが、何とか達成しました。運搬はもっぱら深夜。何故かというと、明るい内は次から次へと顔見知りが来て仕事になりませんでした。すでに営業は終了していますので、時間も売上も考える必要が無いということは、何か、ホッとするものがあり、いろいろな話で盛り上がりました。HPを見た谷岡氏、初対面のライター木全公彦氏、同じく日本映画を独逸に紹介している、日本コネクションのプログラム編成ディレクター、アレックスさんも来てくれて、久々に映画の話等も、まともに出来ました。この間、お話した一人一人にそれぞれの話題があり、営業中では味わえないとても素晴らしい時間を経験させていただきました。そんなこんなで多少遅れ気味にはなりましたが、ビデオの撤収もなんとか終わり、次は棚等の什器を解体作業。久々の力仕事などで身体のアチコチがサロンパスだらけになりましたが、11月10日に完全撤退完了しました。
 と、ここまではしなければいけない事があったので、それをこなしていけば良かったのですが、11日からは、自宅での細かな整理などはあるものの(実はコレが結構手間なのですが)完全なフリー状態(お金はないけれど、時間がタップリあるという事)、いわゆる引きこもり状態に突入です。そうなれば、この機会に見るビデオはたくさんあるという事で、とりあえず、テープ・チェックを兼ねて、1本、2本、3本、4本、5本……。何本見ようと時間はタップリあります。しかし、とりあえずそんな事ばかりはしていられないので、1日1回板橋区、北区、練馬区、豊島区等、2004年散歩の旅(目標1日2万歩)。これが又、時間を気にしなくても良いので、アッチへフラーリ、コッチへフラーリ。そう言えば、今年の夏は猛暑のため、かなり外出を控えていたので、出歩くのも約3ヶ月ぶりの事です。勿論、夜間の外出は約19年振り。何か、最近の治安の悪さなどを考えると、結構凄い事の様に思っていたのですが、これがまた、新鮮な感覚というか、昔の記憶を甦らせます。今の所、幸運というか、当然というか、職質にも遭遇していません(笑)。それにしても、夜だというのに、往来は随分明るくなったものです。
 そんなこんなで結構楽しんでいる毎日ですが、チョット視点を変えてみると街は結構悲惨な状態で、どの商店街でもかなりの空き店舗が目立っています。たった数ヶ月の間にどの街も歯の抜けた商店街になってしまいました。そして、往来する人の数も確実に減っています。我が、ゴーストタウン常盤台の状況が近隣の街にも確実に浸透している様子です。出来たばかりのコンビニや流行の100円ショップがアッと言う間に閉店する過酷な時代。一体経済はまともに成り立っているのだろうか?。13号は街を歩きながら、ふと、考えちゃいました。
 それは、ビデオショップも同じです。人が歩けば、ビデオショップにぶつかると言われた時代はとっくに過ぎたものの、13号の悪い習慣で、ビデオショップを見つけたら、ついフラーッと入ってしまいます。ビデオショップも苦戦の状態は、続いている様子で近隣では、知らない間にセル店、レンタル店各1店が閉店。営業中の店も昼夜問わず、13号が入った時点では殆ど人影がありませんでした(ひょっとして13号は疫病神か?)。たまに人がワンサと集まっているビデオショップに遭遇する事があるのですが、その時はほとんど100円もしくは半額のサービスデー。新作は殆ど貸し出し中なのですが、ショップの90%を占める旧作には誰も目を向けません。「オイオイ、それで店は大丈夫なのかよ!、ま、カンケーないけど」 と気楽になった13号は思わず突っ込みの一つも入れたくなってしまいます。それにしても驚いた事は、13号倉庫はこの近辺では通常レンタル料金が借り方によっては一番安かったという事。各店のサービスデーは除いて通常にアタマを使えば1本200円。それでも来なかったんだから、もうなにも言う事はありません。今はもう、「ラウルの動く城」か何かの話題で勝手に盛り上がっていて下さいね。そういう人たちは……。とりあえず、コレは、常盤台近辺のビデオショプ事情です。老婆心ながら他の所はどうなんでしょう。
 世の中、いろいろなビデオショップがありますが、今回、ちょっとだけ印象に残ったビデオショップの話を書いておく事にします。ここからは、業界系、ちょっと専門的になるかも知れませんが、ご容赦の程。

 東武東上線、常盤台から3つ目の駅、下赤塚にあった「ホビー」というビデオショップをご存じだろうか?。1階が書店で急な狭い階段を昇った2階がレンタルビデオ。そんな店だった。その店は多分ビデオ・レンタルの創世記から時代の荒波をかいくぐってきたであろう痕跡を店内のあちこちに感じさせてくれる店であった。何百、何千のビデオ・ショップがあったとしても、そういう店は今や少なくなってしまったと言っても良いだろう。確かに、昔から営業しているビデオショップはまだまだたくさんある。勿論、古くから営業しているショップは、廃盤作品など貴重な作品はたくさんあるはずである。しかし、それだけでは駄目なんだ。店は生きている。店のレイアウト、作品の配列、作品のノウハウ、バイト君の雰囲気、店長のこだわり等、「いらっしゃいませ〜、今日わぁ〜」 じゃない店。適切な場所に適切な作品の配置。店の何処で寅さんが啖呵をきっているのか、何処でヘプバーンが微笑んでいるのか、マルクスブラザースは何処でギャグっているのか、アステアは何処で踊っているのか、笠智衆(小津作品)は何処で休んでいるのか、何処で宇宙戦争(スター・ウォーズ)が繰り広げられているのか。健さんは、鶴田は、お竜さんは、等など。その辺を考えて陳列している店は、確かに少ない。
 一寸した偶然ではあるが、そんな店を発見した時は妙に嬉しくなる。勿論、同業としては一寸した悔しさもあるのだが、それは多分お互い様なのかも知れない。そういう店があるという事で、その街を訪れるのが楽しくなるという事はある。単なる冷やかしではあるが、その街に行った折りには寄らせていただいた。
 「ホビー」のバイト君とお話をするようになったのは、高々、数年前の事である。久しぶりに行って見ると、「閉店セール」のポスターが貼ってあった。勿論13号も何本か購入させていただいたのだが、その時初めて話しをさせていただいた。今年のプロ野球、合併問題のごたごたと同様にビデオ業界もアホな問題が山積しているのは現場の人間としては分かり切った事ではあるのだが、その辺の事が理解出来ない人間が、この業界にも多い。いつも呆れてしまうのだが、この日はバイト君とそういう話しで盛り上がってしまった。その後、下赤塚には数回しか行っていないのだが、行くたびに在庫の数は確実に減り続けていたが「ホビー」の営業は続いていた。
 2004年春、さすがに今年はもうやっていないだろうなぁ、などと思いながら「ホビー」に顔を出す。案の定、2階のシャッターは降りていた。しかし書店は営業中。しっかり、店長が店番をしていた。店長とまともに話をするのは今回が初めてだったが、約20分ぐらいお邪魔させていただいた。バイト君の話では、元コックさんから転進されたという事だが、映画やビデオに対する思い入れがビシバシと伝わってくるソウルフルな時間だった。その思い入れはほぼ正しい。しかし、それが広範囲に浸透していかないのは一体何故なんだろう。映画やビデオ、音楽や書籍をいれても良いだろう。こういうものは「いらっしゃいませ〜、今日わぁ〜」の世界じゃないはずだと思うのだが……。最後に店長が言った言葉が心に浸みる。「あんたも痛い目に遭わないうちに店を閉めたほうが良いねェ……」
 その後、「ホビー」には行かなかった。この夏の熱さに加え、それこそ閉める閉めないの問題で、フラフラ出歩く所ではなくなったからだ。その間、いつも店長の言葉が頭に残っていた。確かにそれは正論だ。しかし、正論は一つでは無い。この件に関して、他の正論はないものだろうか?。13号の少ない脳味噌ではなかなか良い答えが見つけられなかったのが実情だった。結局、見切り発車的な部分は多分にあるものの、閉店の決断をした後は少しだけ楽になった。その間、いつも「ホビー」の店長のあの言葉が頭の片隅に残っていたのは事実であった。「あんたも痛い目に遭わないうちに店を閉めたほうが良いねェ……」
 そして先日、久しぶりに「ホビー」に行ってきた。その日は常盤台から板橋本町、高島平を回っての帰り道だった。相変わらずの町並み。しかし、よく見ると此処でも貸店舗入居者募集の看板が目立っている。そして、町を歩く人達の数は明らかに少ない。それなのに、宅急便や、配送の営業車はやたらに多い。とても違和感を憶える状況だ。本当に、本当に経済は成り立っているのだろうか?。
 夕方の下赤塚。ここも状況は同じだった。貸店舗入居募集の看板を横目に駅前まで来てしまった。どうやら「ホビー」に気付かず通り過ぎてしまったようだ。あわてて引き返す。明るい商店街の暗闇の中に「ホビー」はあった。1階も2階も静かにシャッターを下ろし、人の気配は全くない。貸店舗入居者募集の看板がやたらに目立つ。隣りの焼き鳥屋の大将に話しを聞いてみた。
 もう3,4ヶ月も前の事らしい。「ホビー」の店長は病気で亡くなられたという事だった。大将曰く、「医者の言うこと、全然聞かなかった」らしい。それもまた、店長らしいエピソードではある。昔の話だが、業界の人間が集まると必ずでた言葉がある。「この仕事は身体に悪い」。営業の仕方では、各自いろいろあるものの、この事では、何故か皆、一様に納得したものだった。みんなそれぞれに持病を持っている。しかし、それで、亡くなったという話しは聞いたことが無かった。
 「ホビー」の店長とはそれだけの出会いであった。しかし、13号はそれだけで充分だ。ただ、もう少しだけ、この状況の中で、同じ空気を吸っていたかった。「ホビー」のバイト君がこのHPをみているかどうかは解らない。だけど、同じ空気を吸っていたら、何時か何処かでバッタリと出会う事があるかもしれない。その時、一寸でも時間があったら、店長の話しを聞かせて欲しい。「ホビー」の2階で喋ったあの日のように……。
 東武東上線、下赤塚に「ホビー」というビデオショップがあった。そこは「いらっしゃいませ〜、今日わぁ〜」の店ではなかった。ただ、それだけの事である。

2004年11月18日(木)
 近日、掲載開始です。

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